歴史を振り返ると、台湾にはかつて強大な米軍基地網が存在していました。1954年にアメリカと中華民国(台湾)の間で「米華相互防衛条約」が締結されると、冷戦下における共産圏封じ込めの要衝として、最盛期には約3万人規模の在台米軍が配置されていたのです。
その象徴が、台中市に位置する清泉崗基地(CCK)です。ベトナム戦争時には米空軍の巨大な補給・作戦拠点となり、大型戦略爆撃機B-52の離発着や空中給油機の配備、さらには極東最大級の滑走路を備えた戦略拠点として機能していました。台北市内にも米軍協防台湾司令部が置かれ、米兵向けのクラブや居住区が街の一角を形成していた時代があります。
この強固な同盟関係が激変した契機が、1979年の米中国交正常化です。米カーター政権は中華人民共和国を唯一の合法政府と認めるにあたり、中国側が突きつけた「断交・条約破棄・撤退」の3条件を呑む決断を下しました。これにより米華相互防衛条約は失効し、在台米軍は台湾全土から完全撤退することとなったのです。
ただし、米議会は台湾の安全を完全に見捨てたわけではありませんでした。撤退と同年に超党派で制定されたのが「台湾関係法(TRA)」です。この法律により、アメリカは台湾に対して防衛用兵器の供与を継続し、台湾の平和が脅かされた場合には「深刻な懸念」を持って行動する法的根拠を維持し続けました。