天然理心流は本当に最強だったのか?新選組が誇る実戦剣術の真相と現在

天然理心流は本当に最強だったのか?新選組が誇る実戦剣術の真相と現在

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天然理心流の歴史を紐解くには、寛政年間(1789〜1801年)の武蔵国へと時計の針を戻す必要があります。流祖である近藤内蔵之助裕春が、鹿島新当流を源流として創始したこの流派は、二代目・近藤三助、三代目・近藤周助へと受け継がれる中で、多摩地域の豪農や名主層の間に深く根を下ろしていきました。

当時の多摩地域は天領(幕府直轄領)が多く、自衛武装の必要に迫られた屈強な農民層が存在していました。彼らにとって剣術は、道場での見栄えや作法を競うスポーツではなく、野盗や侵入者から村と家族を物理的に守るための「生き残る手段」そのものだったのです。

三代目・近藤周助が江戸市谷甲良屋敷に道場「試衛館」を構えたことで、流派の運命は大きく転換します。ここで四代目を継承したのが、後に新選組局長となる近藤勇でした。試衛館には、後に副長となる土方歳三、若き天才剣士として名を馳せた沖田総司、年長者として一行を支えた井上源三郎が集結。さらに食客として山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助ら錚々たる猛者が集い、流派を超えた実戦稽古を通じて鉄の結束が育まれました。

文久3年(1863年)、十四代将軍・徳川家茂の警護を名目に結成された浪士組へ参加するため、試衛館の面々は京都へと旅立ちます。田舎侍と侮られていた試衛館の若者たちが、やがて幕末の京都を震撼させる戦闘集団へと変貌を遂げる幕開けでした。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。