片山東熊は1854(安政元)年、長州藩(現在の山口県萩市)の藩医の家に生まれました。明治維新後の1873年、工部省工学寮(のちの工部大学校、現在の東京大学工学部)に入学。ここで運命的な出会いを果たしたのが、英国から招聘された建築家ジョサイア・コンドルです。
コンドルが教鞭を執った第一期生には、片山東熊のほかに辰野金吾、曽禰達蔵、佐立七次郎という錚々たる俊英が揃っており、後に「コンドル四天王」と称されることになります。片山は学生時代からその卓越した設計センスと几帳面な製図技術を高く評価され、卒業後は工部省を経て宮内省へと進みました。
当時の日本は不平等条約改正を悲願とし、国家の威信を示す壮麗な西洋建築を至急必要としていました。片山はドイツやフランスなど欧米諸国への度重なる留学と視察を命じられ、当時のヨーロッパ宮廷で流行していたフランス古典主義やネオ・バロック様式建築の技法を徹底的に吸収。宮内省内匠寮(たくみりょう)の工務主管として、生涯を通じて皇室関係の施設や貴族邸宅の設計を一手に引き受ける「宮廷建築家」の道を歩み始めました。